坂上田村麻呂は、ゆるい日本の元祖なのか?!1000年単位で日本史に影響を与えた男 「英雄たちの選択 征夷大将軍 坂上田村麻呂」

坂上田村麻呂というと征夷大将軍??っていうことしか浮かんできませんが、なんと清水寺の創建にかかわった人なんだとか。
といっても、あんまりピンとこない坂上田村麻呂ですが、英雄たちの選択で取り上げられましたので書き起こしまとめしました。

東北の蝦夷(えみし)制圧のため征夷大将軍になって戦った坂上田村麻呂。
とうとう蝦夷の指導者・アテルイが降伏したので京へつれていきます。
そしたらですね、アテルイから東北の他の部族を説得するから命を助けてくれって言われるんです。
今回の選択っていうのが、アテルイの命を救うか処刑か?ってことです。

今回にはなんとマンガ界から里中満智子先生が登場!!
どんな発言をなされるか期待度マックスです。

里中:ずっとこのくだりが不思議で
本当にアテルイが言ったのか
むしろ田村麻呂が仕掛けたんじゃないか
だって、アテルイは降伏してきたんです。
今さら生かしてほしいと言うわけない。
田村麻呂がアテルイと相談して、一世一代の大芝居をしたんじゃないか?

磯田:だけど、僕、ブラック田村麻呂、想像してしまうんですよ。
全部はかりごとだったかもしれない。
自分から助命って、あれだけのカリスマ武将が言うわけないと思いますよ。
もし武略としてね、全部やるとしたら、アテルイのカリスマ性を破壊しておきたいですよ。
命乞いをしてきた情けない男に出来る。
んで、そのあと自分がこの男の助命嘆願をしたって言ったら、東北のアテルイの元仲間たちにも頼られる将軍に自分はなれる。
それで、これがうまく行ったら、アテルイとモリを自分の支配に使える。
うまくいかなかったら桓武天皇様がこれを公開処刑してお前よくやったって言って手柄になる。
どこにも損がない。
武略としては最善手なんです。

里中:いや~。政治ってこういうものだな~

宮崎哲弥:(この後、田村麻呂は)官途をのぼりつめるから、磯田説もありかもしれない。

[結果]坂上田村麻呂の選択は、助命嘆願です。けど、アテルイは処刑されます。

鈴木拓也:(日本後紀、死亡記事の中で)田村麻呂は寛容であると書いてある。
部下を大事にした。一方で田村麻呂は、蝦夷の族長を信頼し寛容であった。
寛容とは、相手をよく理解するということ。
常に柔軟な思考を持つことは時代を超えて大事なこと。
様々な問題を解決する糸口になるのではないか。

赤坂憲雄:田村麻呂は、ポスト田村麻呂の時代を切り開いた。
例えば、平泉・中尊寺の建立願文の中に
「生きとし生けるもの全ての命のために この寺をつくる 敵・味方ではなく それを超えていくお互いを寛容にみとめあい融和していく」
といったことを掲げていかざるを得ない。
そういう歴史というか東北には底流にずっと流れている。
田村麻呂は政治的な未来を見通す力を持っていたのかな。

磯田:坂上田村麻呂とアテルイは、時代の流れを変えた。
なんでかっていうと、アテルイが死して桓武天皇の時代の人に”一段落ついた”ってメッセージを与えた。
これがなければ、桓武天皇は依然として戦争と都づくりをやめなかったはずで、桓武天皇は中央集権化に向けて日本の国をガンガン引っ張ってたのをここでストップして、これから平安中・後期のゆるーい日本になるわけですよ。
地方でいろんなことをやりはじめて、そんなにもう中央からゴリゴリ引っ張ってくという形では、だんだんなくなっていく。
もう一回、日本が中央集権に、ものすごくなっていくのは、これはもう近世 秀吉とか徳川政権の時代までないわけで、それを考えると”ゆるーい”支配の日本、地方分権的日本っていうものをアテルイが死んで、桓武があきらめたところから割と長いんじゃないかってことを考えると、1000年単位とかで、すごく日本史に影響をあたえた二人の人物だったと思う。
宮崎:この二人を媒介したのが坂上田村麻呂
磯田:そう。だから見てて、さっき寛容という言葉を先生からおっしゃってくださったんですけれども、寛容の「寛」の字は、ゆるいですよね。
ゆるい日本。その異質を取り込むことができるゆるい日本っていうのが、なんかいい言葉なんじゃないかな。
ですから、いかに後世まで田村麻呂の与えた影響が大きいかっていうのがわかります。

書き起こしここまで~~~~
里中先生の田村麻呂が仕掛けたんじゃないか?の問題提起からの磯田さんのブラック田村麻呂説への展開、面白かったです。
まさか、こんな展開になるとは。議論とはいえドキドキしました。

日本は、良くも悪くも異文化をうまいこと取り込むっていいますよね。
食べ物とかいろんなものを日本風にアレンジしちゃうとか。
神社もあれば、寺もあるみたいな。
これって八百万の神がいてもともとゆるいんだとか、島国気質で波風を立たせたくないからだとかとか色々諸説あると思います。

けど、稲作が入ってきて、中国をお手本に中央集権国家を目指すんだという気持ちになってたわけで、そこで中国風の日本にもなりえたわけです。
そのターニングポイントになった時代に、寛容な人物が政治の中枢にいて政策にその寛容さが影響していたとしたら、このことも日本人の性質に多大なる影響を与えたのかもしれないなぁと感じる一時間でした。

また、赤坂さんのおっしゃってた敵・味方を超えてっていうところ、「京都ぎらい」で語られている敵をも手あつくまつるっていう思想に通じるものを感じますね。
京都的思想の根底に流れるものも、坂上田村麻呂の寛容の心だったのかも??と想像してしまいました。
「京都ぎらい」は、洛中人をディスるだけの軽い感じの新書と思っていたら、ラストで京都の奥深さを感じさせる本だった。

そして、2週ぶち抜きで放送される英雄たちの選択「小牧・長久手の戦い」に「京都ぎらい」井上章一が参戦されるようです。
とても楽しみです!

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