
京都ぎらい (朝日新書)
この本は、ほんとうにたまたま立ち寄ったツタヤで、たまたま手に取ってだけの本でした。
言ってみれば、暇つぶしというか、パラパラと立ち読みしたんです。
そしたら、予想以上に面白くってちゃんと読んでみたくなったわけです。
新書なんで、堅苦しいことが書かれているかっていうと、そうじゃなくて、チューハイでも飲んでほろよい気分で笑いながら読めるそんな本です。
知恵泉のセットみたいな居酒屋のカウンターで、となりに座ったおじさんに、話してもらったらめちゃくちゃ面白いだろうなぁというような内容です。
で、何が書かれているかというと、京都の洛中住まいの人たちが、お高く留まってて嫌いだということを、一冊延々と書いてます。
洛中というのは、洛中洛外図で有名な言い回しですが、豊臣秀吉が京都防衛のために築いたお土居の内側って意味です。
ブラタモリでタモさんが登っていたあれです。
洛中生まれの人から馬鹿にされた積年の思いを爆発させていおります。
東京の人は、京都の人と聞くと何でも2・3割増しにすばらしいと思っちゃって、おだてる。
それで洛中人は、つけあがる。
逆に、大阪の人は京都を変におだてたりしない。これが正しい見方である。
とまぁこんな感じです。
そして、the 洛中人というべき僧についての記述がすごい。
江戸時代は、総本山としての上がりで寺は潤っていたけれども、明治以降それを望めなくなって一時期すたれる。
だけど、戦後"拝観料"を取るようになってむちゃくちゃ潤うようになっている。
今では「祇園も先斗町も、わしらでもってる」と公言してはばからない僧がむれつどう。
比叡山に籍を置くKという有名な僧侶が「好きになった男がゲイだった」という人生相談の番組で、「そんな男は、相手にするな。男は女を愛し、女は男を愛する。これが、自然な人のあり方だ。男が男を愛するのは、その道からはずれている。」と言ったそうなんですね。
で、筆者はこう嘆くわけです。
おいおい、比叡山の歴史をちょっと振りかえってみろ。
比叡山は、男色の総本山みたいな場所だったじゃないか。
多数の学僧、名僧たちが、稚児愛をくりひろげてきたアカデミアではないか。
天台宗の先人たちを、道からはずれた外道だと、本気で切り捨てるつもりなのか?と。
日本の僧侶たちが、いつどのように稚児愛をすて、女色にふけりだしたのか…
このくだりは、新書ながら声を上げて笑いました。
まぁこんな感じで、井上節炸裂させてます。
けどね、ゆるゆるな気持ちで最後の方を読んでると、突然酔いがさめます。
京都人は、怨霊を恐れるので敵のうらみの念を鎮めるために(鎮魂)、菩提寺を建てたりするという部分です。
突然、現代について論じはじめ、靖国について語りだすんです。
靖国が慰霊の対象としているのは、官軍側の戦死者だけだ。
明治政府は無血の革命という人もいるけど、京都や越後長岡や会津、そして西南戦争での多大な犠牲にたいしてまったく鎮魂していない。
賊軍とみなした側の死者については、霊的な処理をおこたっている。
それは、日清戦争以後の対外戦争でも、同様だということなんですね。
中世期までの怨霊思想にしたがえば、敵の霊こそが、手あつくまつられるべきだったであろう。
はっきり言いまして、この発想はなかったです。
中国とか韓国とかが、いちいち文句言ってきてうるさいなぁと思ってるくらいでした。
酔っぱらっているせいかもしれませんが、案外アリかもと思ってしまいました。
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